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> No.6754[元記事へ]
ケイケイさん、こんにちは。
>ロードショー公開の時、この作品は高知で公開されるかな?と、HPでチェックしますが、
>だいたい四国は香川か愛媛なんですよね。
そうなんです。映画館レベルでは、高知は最下層地の一つなんですよ。
だから、自主上映が全国一盛んなんでしょうね。
> あたご劇場さん、頑張ってますね!
> 私も高知を訪れる時は、是非お邪魔したいです。
もちろん御案内します。今やってるのは、大川隆法作品ですが(笑)。
> いやいや、視点が変わればそういうご意見も、もっともですよ。
ありがとうございます。
>私もそう感じました。なのにセリフの感じ方が違うっていうのは、面白いですね。
本当に(笑)。
>狼狽までされましたか(笑)。
ええ。僕にとっては、拙日誌にも綴ったように、半ば主題にも関わることでしたからね。
僕は、この作品を田舎の村人とニセ医者の交流を描いた作品というよりは、
資格を必要とされるプロとは何でどういうものなのかを最重点主題にした作品だと思ったので、
拙日誌にも「プロの職業人というものをマスコミ的な軽薄さで批判的に貶めることなく
描き出すことに、最も力を注ぎ込んでいる」と綴っているわけだし、
そこんとこで言えば、この場面では、やはり“鵜呑みにはできない言葉”というものが
浮かび上がらなくてはいけないわけですから、みなさんの受け止めに
「えぇ〜、どーしてー」と意表を突かれた気になりました。だから、狼狽(笑)。
>確かにテレビのトーク番組でも、司会の良し悪しによって、全然相手の反応が違いますもんね。
ですよね。人の言葉を引き出さなければならない職業というのは、難しいものですよね。
>それが被害者ならば、尚更でしょう。
ん? 被害者って、ケイケイさんから見ても、かづ子は被害者なんですか?
僕は彼女を被害者だとは思ってないんですが、やっぱ被害者なんでしょうかね。
>普通の人だからこそ、邪念も損得もなかったから、素直に伊野が見られたんじゃないかと思います。
それは、ニセ医者であることを察しながらもってことですよね、ケイケイさん的には。
僕はかなり人が悪いせいか、自分も含め普通の人こそ、邪念と損得勘定にまみれてて、
でも、それをあからさまにして生きるほどの根性もなくて常にせこく葛藤している
存在だと思っているので、彼女に対してそういうイメージはありませんでした。
たとえ八千草薫が演じていようとも(笑)。
>対立というより、娘の気持ちですかね?
>自分の娘が医師であるのに、偽医者と知っていてかかっていたのなら、
>娘は非常に傷つくし、周囲からも何だお前の母親は、と罵倒されかねないでしょう?
罵倒まではされないでしょうが、娘が傷つくとは思ったかもしれませんね。
でも、僕は、かづ子が娘のことで気にしてたのは、体の不調を医師である娘にも
隠していることの疚しさだったように感じていたので、
入院を要するほどの不調なら、なぜ自分に相談してくれなかったのか、という形で
娘を傷つけてしまうことを気遣っていたように思ってます。
>あのセリフなら、どうとでも取れると思いました。
>ヤマさんと私の感想は違うけど、どちらでも嘘ではないでしょう?
事実、そう感じたということに何の嘘がございましょう(笑)。
>> かづ子って、そんな計算が働く人だったのでしょうか?
>計算というか、彼女なりに出来る範囲で伊野を庇いたかったんじゃないですか?
「何も(しないでいてくれた)」と証言することは、娘に気遣いつつ出来る“庇い”なんですね。
ふーむ。
ケイケイさん的には「(悪いことは)何も(しないでいてくれた)」ということなんですね。
なるほどねー。
「してくれなかった」と「しないでいてくれた」との大きな違いは、
悪事を主語に受けられる受けられないってとこだと気づきました(笑)。
>映画は観る人が観たい様に見えると同じで、刑事も相手は明白な被害者なんだから、
>自分が感じるように聞きたいように聞こえるということは、ないでしょうか?
勿論そうなりがちなものだと思います。
そこのところをどれだけ払拭できるかが、普通人の及ばないプロの証なんですが、
その職についているってことだけで得られるものではないですよね。
>刑事の勘が働くのは、もっと怪しげは場面であって、かづ子が気付いていようがいまいが、
>伊野の犯した罪の量刑には、それほど変わりはないと思うんです。
>だから、言葉通り受け取ったと思いました。
並みの刑事ならそうでしょうし、敏腕刑事ならそうとも限らないでしょうし、
僕は、他の言動からしてあの刑事は後者のように感じていましたが、
実際彼がかづ子の証言をどう聴いたかは明示されてなかったように思います。
>>このあたりの受止め方の微妙な差異って面白いですね。どこから来るのでしょうね(笑)。
>かづ子に対する視点かもしれませんね、
まさしく!(笑) そのとおりですね。
>恋ではなくても、好ましい異性だと感じてはいたと思います。
あの程度でも異性視だというのが女性サイドの感覚ならば、
僕が若い頃から感じていた「自分は女性からあまり異性として見られない」との思いが
女性視点に立てば、けっしてそうではないってことが判るような気がしますね(たは)。
> > 真摯に村人の心に寄り添う医師であろうとしている伊野の人となりを
> > 感じさせるエピソードとして受止めていました。
> 私が特別な関係と感じたのは、ラストシーンですね。
> わざわざかづ子が入院している病院に出向くなんて、大変大胆な行動ですよ。
> それに気づいたかづ子の笑顔も、私にそう感じさせました。
> これが「何もしてくれなかった」の感想の、私の後押しにもなりました。
> ヤマさんはあのラスト、どう感じられますか?
僕は、全然「わざわざ」とは感じてなくて、むしろ「たまたま」と見てました。
で、それって映画的“偶然”としての言わば約束事のようなもので、
そこでご都合主義を言うべき場面ではないと思っています。
「わざわざ」と受け止めておいでれば、ご都合主義など無縁ですよね〜。
ラストシーンに何を感じたかといえば、TAOさんとこのmixi日記にも書き込んだのですが、
無免許ながらも医師として村人に尽くし感謝されてきた何年かの蓄積によって
彼が“人を助ける現場職”というものに嵌っていることを示していたように感じました。
介護師であれ、看護師であれ、伊野が免許を持っているとは思えませんから、
ある意味、止められなくなってもいるわけですよね。
まぁ、もしかしたら、ただ給食業者に雇われてただけだったのかもしれません。
それだと「わざわざ」はあり得なくなりますが、そのいずれの職にしても
“人を助ける現場職”であるのは間違いないですよね。
彼にそういう心根を授けたのは、やはり村の診療所で医師として過ごした年月なんだろうと思いました。
そして、僻地医療に従事する職というものは、医師免許の有無に関わらず、そういうものなんだろうと思いました。
上にも書いたように、僕は専らこの作品を「資格を必要とされるプロとは何でどういうものなのか」
を描いている映画として受け止め、かづ子を含めた村人とニセ医者の交流のほうに
重きを置いては観ておらず、かづ子と伊野の間にも何ら特別な関係を感じていなかったので、
ラストシーンの見え方もそんなふうになったわけです。面白い違いでしょ(笑)。
>>特別な存在というのが前に出てくるようになると、
>>何が“いい医師”像なのか、という焦点がぼやけてきてしまうように思うのです。
>それ以外にも良い医者であるというエピソードはありましたし、
>医師の母親相手の作偽ですから、他の患者よりリスキーだったと私は思ったんです。
だからこそ、それ自体が“特別な関係”を指し示しているというわけですよね。
そうも言えるのでしょうね。でも、僕は上にも書いたように、そういう“個人的特別”よりも
“職業的特別”を描き出そうとしている作品だと受け止めているので、
作り手がラストで“個人的特別”を前に出す気を持つはずがないと思ってしまうわけです。
http://wwwd.pikara.ne.jp/magarinin/
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