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> No.6748[元記事へ]
ヤマさん、こんばんは。
> 高知は、地方都市のなかでは、まだ恵まれているほうだと思いますよ。
> 都会と地方の差は、それだけ大きいということです。
自主上映が盛んですもんね。
でもロードショー公開の時、この作品は高知で公開されるかな?と、HPでチェックしますが、だいたい四国は香川か愛媛なんですよね。
> これ、何ヶ月か前に、あたご劇場のおじさんから、チラシを貰ったので、
> やるつもりがあるんだろうと思いますが、
> 地方の鄙びた小屋には、まだ回してもらえないだろうと思います。
あたご劇場さん、頑張ってますね!
私も高知を訪れる時は、是非お邪魔したいです。
> そうですか。やっぱ僕がひねくれてたのかも(苦笑)。
いやいや、視点が変わればそういうご意見も、もっともですよ。
> そうですよね。
> 意に沿わぬ治療をされるより、意を汲んでくれるほうが、余程ありがたいはずで、
> 僕的には「実に得がたいことをしてくれた」んじゃないかと思えたわけです。
私もそう感じました。なのにセリフの感じ方が違うっていうのは、面白いですね。
> この場面は、拙日誌にも綴ったように、僕には
> “人の口から本当のことを聞き出すことの難しさ”を表しているように映りました。
> ですから、ケイケイさんたちのように聴いている方が少なからずおいでることに
> 少々狼狽しております(笑)。
狼狽までされましたか(笑)。
確かにテレビのトーク番組でも、司会の良し悪しによって、全然相手の反応が違いますもんね。
それが被害者ならば、尚更でしょう。
> 僕は、かづ子というのは、たとえ八千草薫が演じていようと、
> もっともっとフツーの老婦人だと思ってました(あは)。
うん、普通のおばあさんですね。
普通の人だからこそ、邪念も損得もなかったから、素直に伊野が見られたんじゃないかと思います。
> 真実を探ろうとしている娘と対立することになると思ったからということですか?
> なるほどね。庇う気があったとしても出来ないというのはあるかもしれませんね。
対立というより、娘の気持ちですかね?
自分の娘が医師であるのに、偽医者と知っていてかかっていたのなら、娘は非常に傷つくし、周囲からも何だお前の母親は、と罵倒されかねないでしょう?
> ふーむ。実際の台詞は明言だったのか、ぼかしていたのか…、僕も自信はありません。
あのセリフなら、どうとでも取れると思いました。
ヤマさんと私の感想は違うけど、どちらでも嘘ではないでしょう?
> かづ子って、そんな計算が働く人だったのでしょうか?
計算というか、彼女なりに出来る範囲で伊野を庇いたかったんじゃないですか?
> 僕には、そんなふうには感じられませんでしたし、刑事のほうは逆に
> かづ子の証言をそのまま鵜呑みにするようなタマではないように感じました。
映画は観る人が観たい様に見えると同じで、刑事も相手は明白は被害者なんだから、自分が感じるように聞きたいように聞こえるということは、ないでしょうか?
刑事の勘が働くのは、もっと怪しげは場面であって、かづ子が気付いていようがいまいが、
伊野の犯した罪の量刑には、それほど変わりはないと思うんです。
だから、言葉通り受け取ったと思いました。
> このあたりの受止め方の微妙な差異って面白いですね。どこから来るのでしょうね(笑)。
かづ子に対する視点かもしれませんね、
> 僕もあの場面は、そのように観ていました。
> 彼女の想いを窺わせた場面というより、彼女の人となりを感じさせる場面だと受止めてました。
恋ではなくても、好ましい異性だと感じてはいたと思います。
> 真摯に村人の心に寄り添う医師であろうとしている伊野の人となりを
> 感じさせるエピソードとして受止めていました。
私が特別な関係と感じたのは、ラストシーンですね。
わざわざかづ子が入院している病院に出向くなんて、大変大胆な行動ですよ。
それに気づいたかづ子の笑顔も、私にそう感じさせました。
これが「何もしてくれなかった」の感想の、私の後押しにもなりました。
ヤマさんはあのラスト、どう感じられますか?
> 特別な存在というのが前に出てくるようになると、
> 何が“いい医師”像なのか、という焦点がぼやけてきてしまうように思うのです。
それ以外にも良い医者であるというエピソードはありましたし、医師の母親相手の作偽ですから、他の患者よりリスキーだったと私は思ったんです。
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